今回のテーマは、名選手は必ずしも名監督であるとは限らない理由について。
「名選手は必ずしも名監督であるとは限らない」とはよくいわれますね。
ですが、この法則というか、格言が通用しない社会が存在します。
お気づきの方もいるでしょうが、答えは日本企業です。
日本企業の多くは、プレイヤーとしての実績があればマネージャーもこなせるだろうと考え、優れたプレーヤーをマネージャーに据えたがります。
確かに、なんの知識も経験もない人材を、マネージャーにするのはどうかと思います。
全くの素人がいきなりマネージャーになってもうまくいく可能性は低いでしょう。
ですが、プレーヤーとして大成する必要があるかといわれれば、そこはクエスチョンマークがつくと言わざるを得ません。
なぜなら、プレーヤーとしての実績をあげることと、マネージャーが求められることはまったくもって別物だからです。
プレーヤーとして実績を上げるだけなら、ある程度ルートは確立されています。
他人の行動を見様見真似でいいので、いいところを取り入れていけばおのずと成功に近づけます。
ですが、マネージャーとして大成するのであれば、話は別です。
そもそも、相手に効率よく知識を伝達するためには、ある程度自分のなかで理論立てておく必要があります。
理論立てておくとは、つまり「Aは、Cになる」ではなく、「Aは、Bを経てCになる」といった具合に、結果に到達するまでの過程を事細かに把握しておくことです。
ここに、プレーヤーで終わってしまう人とマネージャーまで上り詰められる人の違いがあります。
プレーヤーで終わってしまう人は、成果につながるまでのプロセスの把握が全くできていない、ないしは感覚的にしか把握していないのです。
「では、どうすればプレーヤーからマネージャーになれるのか」
ここに疑問を抱いた人もいることでしょうが、それは次回に譲ります。